◆認められるために、結果にこだわり突っ走ったあの頃

前職時代、自ら能動的に仕事を覚えようとする後輩アルバイトスタッフに対して、「生意気だ」とつき返した社員。それが許せなくて、店長に直談判した。しかし、売上貢献の少なかった私の言い分は退けられた。周囲を認めさせるため、見返してやるために、結果を出すことだけに拘って、ひたすら来店客に売り込みをかけた。騒音が出る洗車機を従来の22時から、閉店の24時まて稼働させることを周辺住民に頭を下げてお願いして回ったりもした。時には本来必要ないサーヒスを提供するなど乱暴な販売をやり過ぎたことも(反省)。
しかし、結果は確かに残った。その後アルバイトから社員、店長と役職があがるにつれて、仲間たちとの会話や絡みが増えチーム意識も芽生え始めた。閉店後にみんなで会議や勉強会をしたり・・・気づけば昼の営業よりもバイト中心で営業する夜の方が売上が良くなっていた。チームでカを合わせて成果を出す喜びを、この時に知った。最終的に、事業部の業績は赤字3000万から黒字4000万に大逆転。見事にやり遂げた私は、23歳で事業部長に抜擢された。

◆30歳で前職時代の仲間たちと起業

そんな中で会社自体は新規事業の失敗もあり、会社全体の経営が低迷…その後は各事業部の立て直しに奔走する日々が続くものの、ついには苦渋の決断でリストラを断行することに。一生懸命に働いてくれている人を辞めさせることは精神的にも本当に辛い仕事だった。眠れない日々で胃潰蕩にもなった。同時に会社運営で一番してはならないことだと痛感した。結局、会社は清算。そして2008年、私は前会社で一緒に働いていた仲間15名を引き継ぐ形で、メンバーと一緒に「ビーザ・ワン」を立ち上げた。真っ先に考えたことは「永く一緒に働ける会社にする!。ということただ一つだった。
しかし、当時はリーマンショック後で不況の真っ只中。「無茶な独立だ、おかしい」と歓迎してくれる人は誰もいなかった。そんな困難に立ち向かうように、いきなり天文館のど真ん中でビル―棟を丸ごと借りてセレクトショップをオープンしたのは、今いるスタッフが次のステップとして活躍する場の確保…将来の事業展開と安定した雇用の確保を見据えてのことだった。あの辛い経験から「社員が安心して長く働ける会社にしたい」という強い想いはぶれなかった。

◆市場から認められる会社に!

しかし、オープン当初は話題になったセレクトショップも、その後の業績は伸び悩む。同時進行で取り組んでいた大手のショッピングモール、デパート、駅ビルへのテナント出店の依頼も、アポイントすらいただけない状況が続いていた。「ナショナルチェーンの競合他店としのぎを削る環境で勝負し、結果を出したい!」という想いは会社を立ち上げた時から持っていた。そこにやっとテナント出店のチャンスが訪れる。
しかし、そこは集客に不利な環境でテナントの入退店が繰り返されるような場所だった。この逆境に私たちは全社一体となって奮起した。社員総動員で現場に入り「他の人ができなかったことを、私たちがやってやろう!」と。隣の店舗は早々に閉店作業に入る中、時間いっぱいまで全カで営業。みんなの熱意を結集して、できること全てに取り組んだ。そうした努カが実を結び、見事に逆境を乗り越える売上を上げるまでに!この実績がテナント誘致のデベロッパーからも認められ、出店オファーをいただくようになった。

◆これからも、問題解決に挑み続ける!社員の活躍の場を守り続ける!

次々に訪れる問題を解決し、様々な困難を乗り越えてきた経験をバネに、「ビーザ・ワン」は今では、アパレル・エネルギー・広告代理・飲食という4事業を鹿児島・福岡エリアで展開中。『他の人ができないこと、成し遂げられないことにチャレンジし、成果・成功を収める』という信念を今なお持ち続け、問題解決を楽しみながら、各事業を成長させている。組織としても、より良い環境・制度が整ってきた。仕事とプライベートを充実できるよう有給休暇を簡単に取得できる風土があり、社員の成長を支援する各種研修の実施、頑張りを評価する表彰制度、現場社員の声を制度化した子育て応援手当、将来の目標を明確にできるキャリアステップなど(今年、一般社員から2名の役員も誕生!)これからも社員の働きやすさに配慮した職場環境の充実には、積極的に取り組んでいくつもりだ。
従業員への給与ももっともっと上げられるように、事業を大きくしていきたい。将来的には、事業部ごとの分社化も構想していることから、現在は各事業部運営における多くの裁量を現場責任者に委ねている。社長決裁という概念が社内的にはないくらい自由度が高い(笑)これからも問題解決に挑み続け、事業を永続・発展させ、社員一人ひとりが自己実現できる場を全員でつくっていきたいと思っている。